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大阪高等裁判所 昭和50年(く)55号 決定 1975年8月22日

少年 I・N(昭三三・九・二二生)

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の趣旨は、少年作成の抗告申立書記載のとおりであり、要するに、本件はAの単独犯行であり、少年はAと暴行ないし傷害の共謀をしていないのにもかかわらず、右共謀があつたものとして少年について傷害致死罪の成立を認めた原決定には重大な事実の誤認がある、また原裁判所審判廷において担当裁判官から傷害致死罪である旨告げられたのにもかかわらず殺人という罪名で中等少年院送致の手続をした原決定には決定に影響を及ぼす法令違反がある、というのである。

そこでまず、事実誤認の主張について考えるに、原裁判所で取調べた関係各証拠によると、原決定認定の事実を十分認めることができる。すなわち右各証拠によると、少年は本件当日午後三時ころ、友人のBと一緒に本件犯行現場の大阪市淀川区○○○×丁目××番○○号パチンコ店○○会館へ行つた際、同店に来ていたかねて顔見知りの被害者○成○から「お前らあんまりでつかい面をして歩くな、帰れ」と言われたので憤慨したものの、同人が年長でもあり同人の仲間が店内に多数居るものと思われたのでその場で同人と喧嘩をしても勝ち目はないものと考え、一旦右Bと一緒に同店を出て帰路についたが憤まんやるかたなく、一度は右Bに被害者を呼び出してきてくれるよう依頼したものの飜意して当時止宿していた同市東淀川区○○○町×丁目×××番地の右B方二階へ戻つたが、当時少年と同様同所に止宿していたAから少年の不気嫌な理由を問い質されたので、「今パチンコ屋で朝鮮の奴にあんまりでかいつらして歩くな帰れと言われたんや」等と右のいきさつを話したところ、同人が「お前らそんなん言われて黙つて何もせんと帰つてきたんか、朝鮮人やつたらどないしてん、俺が話をつけてやる」等と言つて少年のため被害者に対し暴行を加えるなどしてでも謝罪させることを言い出したのでこれに賛成し、Aの加勢を得て右のような手段にうつたえてでも被害者に謝罪させることを決意した。そして、Aが同所一階炊事場から刃渡り約一六・五センチメートルのステンレス製菜切包丁を持ち出してこれを紙袋にいれて着ていたポロシャツの下に隠し持ち、同人と一緒に午後四時三〇分ころ、右○○○会館前に至り、その際同人が右菜切包丁を所持しておりこれを犯行に使用することを察知したが、そのまま同人を案内して同パチンコ店に入り、同店内東北隅の遊技台でパチンコ遊技をしていた被害者を示して因縁をつけられた相手である旨教え、右Aが原決定のとおり被害者とやりとりしたあげく殺意をもつて右包丁で被害者の胸部を突き刺すなどし、その場で心臓刺創に基づく心のう内血液タンポンにより死亡させたことが認められる。少年は原裁判所審判廷において被害者をよび出して喫茶店で話をして謝罪させようと思つただけであり謝罪しないときにどうするかという点までは考えていなかつた旨供述し、暴行を加えてでも謝罪させようというまでの意図を有していなかつたというのであるが、右供述は本件に至る経緯ことにAの応援のもとに被害者に謝罪させようと考えたこと及びAが菜切包丁を犯行に使用することを察知しながら同人に被害者を指示していることから考えると、被害者が謝罪要求に応じない場合には暴行ないし脅迫等の実力を行使してでも謝罪させる意思を有していたことは明白であり、右供述は信用し難い。

右認定の事実関係によると、少年はAと被害者に対し謝罪要求に応じない場合には暴行を加えるべき旨の共謀をなしたことは明白であり、Aは右共謀に基づいてその実行行為に出たが、共謀の範囲をこえて殺人の所為に出て被害者の死亡という結果を発生せしめたものであるから、少年にはAの所為についても右共謀の範囲内すなわち暴行の共謀の範囲において右共謀に基づく死亡の結果の発生についての責任すなわち傷害致死の責任を免れない。原決定には所論の事実誤認はない。論旨は理由がない。

つぎに法令違反の主張について考えるに、少年が本件所為につき傷害致死の罪責を負うべきことは右に説明したとおりであり、原決定は右の事実を認定しこれに対し刑法六〇条、一九九条、三八条二項、二〇五条一項(傷害致死罪)を適用し、少年に対し傷害致死の罪責を認めるにとどめ、少年を中等少年院に送致したものであつて、少年に対し殺人の罪責を認めたものでないことは原決定の判文にてらし明白である。もつとも原決定の前文には「上記少年に対する殺人保護事件について審理を遂げ次のとおり決定する」と記載されてあるが、右の「殺人保護事件」というのは本件が検察庁から原裁判所に送致された際に付せられた事件の表示にすぎないのであつて、少年に対し殺人の罪責を肯定したものでないことは勿論である。したがつて原決定には所論の法令違反はなく、論旨は理由がない。

よつて、少年法三三条一項により主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 瓦谷末雄 裁判官 小河巖 清田賢)

参考一 少年I・Nの昭和五〇年六月一八日付の抗告申立書

私は、昭和五〇年四月二六日にB君といつしよに、○○会館パチンコ店へ昼すぎごろ行き、その時、パチンコ店内で顔見知りの○○ちやんという人にもんくをいわれました。その時ぼくは頭に来ましたが、もういいわと思い、B君の家へ帰りました。B君の家につくと、A君がいてまして、帰つた時にA君が、私に「なにかあつたのか」と聞いたので、私は、A君にパチンコ店であつた事をいうと、A君が私に「俺が、話しをつけてやる」といつたので、A君と、私との二人で○○会館パチンコ店へ行きました。パチンコ店へはいる時、A君が、「どいつや」と私にいつたので私は相手を教えてから入口の所で、まとうと思い入口の所までもどりA君が相手の人をつれてくるのをまつていましたが、少し気になつてA君の行つた方を、見てみるとA君と相手の人がいてなかつたので私はA君の行つた方へ歩いていくとちゆう奥でA君と相手の人がつかみあいになつていてその時A君が包丁できりつけるのが見えました。私は私がさきほどパチンコ店へはいる時に、A君が、白い紙ぶくろをもつて入るのになにか気にしなかつたがA君が包丁できりつけたのを見たときに、さつきの紙ぶくろが包丁だつたんだなと思いました。私は、その時「やめとけ」というと、パチンコ台で二人のすがたがかくれたので走ってその方へ行きました。行ってみると、相手の○○ちやんがたおれていたので、両かたを持つて起こそうとするとむねの所から血が出ていたので、私はびっくりしたのと、こわくなつたので、横に立つていたA君に「逃げろ」といつて逃げたのです。

私の事件は、このような内容の事です。それで私は、今年の、昭和五〇年六月一一日、大阪家庭裁判所で審判を受けましたところ裁判官のいうのには「事件のとちゆうに、話しをつけてやるといつたのは、どういう事なのか又、どういうふうに、話しをつけるのか」と聞かれましたので私は、「あやまつてもらうだけである」と言いました。そしたら、「あやまらなかつたら、どうするのか」と裁判官が聞くので私は、「わかりません」と言いました。すると裁判官は、「わからないとは、どういう事ですか」と聞くので私は、「けんかになつていたかもしれません」と答えました。そしたら裁判官は、もしけんかになつていたら、私が相手の人をどついた時、そのひようしに、相手の人がこけて、どこかに頭をぶつけて、死んでいたかもしれませんと言いました。それで死んでいたら、しよう害致死になりますねといいました。そして、私が、相手の人を殺したのではないので殺人ではありませんといい、しよう害致死罪という事で中等少年院に行つてもらいますといいました。でも私は、裁判官が、けんかになつていたら私が相手の人をどついてそのひようしにこけて頭をうつて死んでいたかもしれないといいましたが、反対に私が、どつかれて死んでいたかもしれないという事がいえると思います。じつさいには、相手の人は、A君に包丁でさされて死んだのに、なぜ私がしよう害致死という罪になるのかわかりません。そら、私がA君といつしよにさして殺したのなら、なんという罪名を言われてもかまいませんが、私はA君がさした事もなにもしらないのに、なぜ、しよう害致死なのかわかりません。そら私がA君にパチンコ店であつた事をいわなければ、こんなことになつていませんでしたが、それにこの奈良少年院には、殺人という事でここに来ています。審判の時裁判官は、私にしよう害致死だといつたのになぜ殺人罪なのですか、私はさわりもなにもしていないのに、なぜ殺人という事になるのですか、この二つの事が私には、よく理解できないのです。

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